なつブログ

野球、アニメ、ゲームなど様々なことを思いつくまま書きます。不定期更新。

さようなら、あの時のブルックリン・ネッツ

 僕は19-20シーズンにNBAを中学時代ぶりに追い始めたが、コロナでシーズンが中断してからはまた見るのをやめていた。そんな僕が再びNBAを追い始めたきっかけは20-21シーズンに起きたブレイク・グリフィンのブルックリン・ネッツ入りである。

 

 僕の中学時代、ブレイク・グリフィンは豪快なダンクを武器にリーグNo. 1 PFの座を争っており、ロブシティと呼ばれたロサンゼルス・クリッパーズは人気の絶頂にあった。かく言う僕もまた偶然クリッパーズに魅せられた者だった。

 ある日、珍しくBSでNBAの試合を放送していた。2013年のことだったと思う。当時バスケ少年の僕はアメリカに凄いリーグがあること、マイケル・ジョーダンコービー・ブライアントの名前、それくらいしか知らなかった。そして僕はそのサンダーとの試合を目にした。

 記憶が朧げだが、サンダーにはKD、ラス、イバカがいて、クリッパーズにはCP3、ディアンドレ、そしてグリフィンがいた。中でもグリフィンのプレーは僕を釘付けにした。

 そして10年近くの月日が経ち、少年時代のヒーローが移籍するという記事を目にした。ピストンズに移籍したことは知っていたが、今度の移籍先は比較にならないくらい凄いらしい。僕の中学時代からスーパースターだったKD、ハーデン、そしてカイリーがチームを組んでいると言う。そこに僕のヒーローが加わるという。期待に胸が膨らんだ。

 そしてすぐに21年のプレーオフがやってきた。ボストンを難なく蹴散らしたネッツは、カンファレンス・セミファイナルで現役最強と名高いヤニスを擁するバックスと「事実上のファイナル」と呼ばれる熱戦を演じることになる。

 ネッツは早々にKD以外のBIG 3であるハーデン、カイリーを失い戦局は絶望的と言って良かった。だがネッツは果敢に立ち向かった。僕のヒーローはヤニスとマッチアップし、GAME 2ではバックスを85点に抑えての圧勝に貢献。その後もKDの人外そのものなオールラウンドな活躍と、ブルース・ブラウン、ジェフ・グリーン、そしてグリフィンらロール・プレイヤーの活躍により戦力差を覆してみせた。特にグリフィンがヤニス相手にポスタライズダンクをかました瞬間は興奮のあまり叫んでしまった。

 

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 しかしこのシリーズの主役はKDだった。この時のKDは2018年のレブロンなどに匹敵する化け物っぷりで、この瞬間彼は間違いなくヤニスをも超え地上最強と言って良かった。

 KDと言えば史上最悪のヒールだ。KDがウォリアーズに移籍した頃、僕はNBAを熱心に追っていなかったとは言え、あの決断には賛同できないし、今でもウォリアーズを憎たらしく思っている。しかしそんなイメージを一瞬で吹き飛ばすほど、このシリーズのKDは最高にクールだった。

 しかしGAME 7 のオーバータイムまで及んだ激戦の末ネッツは敗れ、その後バックスはチャンピオンになった。

 それでも僕の目には彼らが史上最もかっこいい敗者として映った。そして僕はグリフィンのファンというだけでなくネッツのファンになり、来季こそはチャンピオンに輝けると信じていた。このシリーズ、ハーデンとカイリーのいずれかの怪我がなければ、大不振のジョー・ハリスが1本でも3PTを決めていれば、そしてKDが GAME 7であと5cm手前でシュートを撃っていれば、勝っていたのはネッツだったのだから。

 

 しかしここからネッツの苦難が始まる。ファンとしても苦しい時期が丸一年続いた。ワクチン接種を拒否したカイリーの欠場に始まり、KDも長期離脱。その間一人で負担を担ったハーデンの不満は募り、チームとの間に不和が生まれ、ハーデンはTDLシクサーズに移籍。代わりに入ったスターPGのベン・シモンズはフィット自体はハーデンより良好と思われていたが、メンタルに爆弾を抱えた上、背中の故障で「〇〇までには復帰か」というニュースが流れるだけで結局シーズン全休。コンセプトが崩壊し

 

「これどんなチームなん?」

 

と言いたくなるラインナップになったネッツをトレードで入団したセスとドラモンドが助けてくれたことが唯一の幸いだった。

 そんなふうにゴタゴタし続けた21-22年シーズンは結局プレーイン・トーナメントを勝ち上がるも、プレーオフ1回戦で前年一蹴したセルティックスにスイープされる始末。第1戦をはじめ接戦は多かったが、誰の目にもチーム力の差は明らかだった。

 

 そしてこのオフ、NBAで話題の中心になったのはネッツだった。なんとKDまでもがトレード要求を行ったのである。ここに来て、僕はもう半ば諦めていた。

 コート上では現役トップ3クラスに頼りになるが、怪我が多く何より「バスライダー」気質のKD。

 

 ワクチンの件は理解できる面もあるので置いておくが、キャブズでもセルツでも自分のこだわりのためならフロントやチームのことなんてお構いなしだったカイリー。

 

 出場するかしないか常に煮え切らず、21年のプレーオフ以降スターとしての輝きを完全に喪失したシモンズ。

 

 あとどうにも無能な感が拭えないヘッドコーチのスティーブ・ナッシュ

 

こんな好き放題ばかりのチームで勝てるわけがない。この夏にグリフィンも移籍した。キャム・トーマス、クラクストンら応援したくなる若手は多いが、もう今の体制を諦めても良いだろうと思い始めていた。

 

 しかしここからネッツは再びファンの心を熱くする。結局KDは残留。そして日本人にとって最大のニュース、渡邊雄太の入団が起きた。

 渡邊のことは当然応援していた。僅かなプレータイムでも「自分にできることを」とハッスルを見せ、必要とされる選手になるために足掻く姿は本当に尊敬していた。だからこの移籍は本当に嬉しかった。でも当初は「応援していたチームに応援している選手が来た」という程度のものだった。

 

 だが2022年11月、開幕直後からケミストリーに欠け、不振に陥ったネッツはHCのナッシュの解雇を前後として大幅に変わり始める。それは、ともすれば21年シーズンのBIG 3さえ上回る強さだった。

 ジャック・ボーンHCの指揮の下、ネッツはKDを中心に見事なチームバスケットを完成させた。カイリーはくだらない理由でチームから出場停止を命じられていたが、そんなことはもはや関係ない。元々優秀なロールプレイヤーは揃っていたが、彼らが足並みを揃え、各々の役割を全力で全うした。特にクラクストンのディフェンダーとしての完全開花は目を見張るものがあった。

 その中で渡邊もケミストリーの中核としてチームに貢献し続けた。クラッチタイムで素晴らしいディフェンスを披露したかと思えば、3PTを沈めてチームの勝利を演出。ファンみんなに愛されるチームのハートになったのだ。

 

 日本人に不利なリーグで、何度も何度も辛酸を舐めてきた渡邊は、それでも諦めずキャンプ契約から本契約を勝ち取り、必要とされるために存在価値を証明し続けてきた。その結果、リーグで一番熱くて勢いがある素晴らしいチームの中心で、その好調の象徴としてみんなに愛されるようになった。こんなに嬉しいことがあるだろうか。ブレイザーズ戦での彼の活躍やインタビューを見た後、僕は思わず涙していた。今でもあの「渡邊のキャリアが報われた瞬間」を思うとすぐに泣いてしまう。

 渡邊は僕の目にはどんなスーパースターより輝いている。何度ポスタライズされたって恥なんて気にせず立ち向かい続ける姿、チームの勝利のためにエゴ一つなく常に全力100%で動き続ける姿、必要とされるために改善を続ける姿。全部が尊敬に値する勇姿だった。

 そして彼をリスペクトするコーチやチームメイトもまた、リスペクトに値する人々であり、ネッツはこの期間NBAで一番「チーム」だったと思う。その結果が12連勝だった。

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僕は今でもこの写真が大好きだ。この時のネッツはロブシティさえ超えて、僕が一番好きなチームかもしれない。1年間、チームですらなかったネッツはようやく「チーム」になったのだ。この興奮は何事にも優った。

 

 しかし2023年2月、僕の夢は終わった。カイリー・アービングという人間一人のエゴによって。端的に説明すれば、前年オフに長期契約を渋られたカイリーが「どうせオフには出て行くぞ」とトレードを要求したのだ。

 これまでチームに迷惑しかかけてこなかった男が何をほざいているのだという不満はさておいて、オフの移籍自体は選手に認められる権利だ。だから認めるほかない。だが散々迷惑をかけたチームがようやく立ち直ったタイミングで、KDの離脱中に、キャブズとセルツに続いて今度もまた期待に応えず移籍を選択する。その事実を以て彼をリスペクトできるはずがなかった。

 

 しかし今更不満を垂れても結果は変わらない。カイリーはトレードされた。しかしKDが故障から帰って来れば、今のロスターでも十二分に優勝は狙える。少なくともカンファレンス・ファイナルは狙える。連勝中だってカイリーがいない時期はあった。

 だがそれでもKDはチームと話し合った末にサンズ移籍を選んだ。「結局お前はバスライダーなのか」という失望や、「ミカルとジョンソンが抜けたサンズより今のネッツの方がケミストリー的にも優勝が狙えるのではないか」という疑問がないではなかった。だが、今更KDを責める気にはならなかった。もう疲れたというのもそうだし、何よりカイリーと違い21年のプレーオフをはじめ多くの場面でKDはチームリーダーとして貢献してくれていた。だから祝いも貶しもせず、エースの門出を見送ることにしたのだ。

 

 その後のネッツ、今のネッツについて僕は何と語っていいかわからない。もちろん勝てば嬉しいが、前ほどではない。これからも絶対に応援し続けるが渡邊の活躍の機会も大幅に減った。

 僕はまだ完全に割り切れてはいないし、今でも12月のネッツなら優勝できたと信じて疑っていない。それでも二度とあのチームは戻ってこないという喪失感故に筆を取ったというわけだ。

 

長くなってしまったが最後に。

 

僕はあの時の、KDがいたブルックリン・ネッツが大好きだった。不揃いのスーパースター軍団が苦労人のロールプレイヤーたちの加入によってリーグで一番熱いチームになる過程に胸を焦がした。

その事実だけは一生変わらない。

さようなら、あの時のブルックリン・ネッツ

 

 

今更オススメする「新すばらしきこのせかい」

 おはようございます。移動時間長くて暇なので既に本日2本目の記事です。年5本上がればいいペースなのに、ここに来て急に投稿頻度が上がったのは仕様です。

 

 ということで、今回の記事内容はタイトルの通り「マジで今更」オススメする「新すばらしきこのせかい」です。

 

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 新すばらしきこのせかいスクエニ開発、DSで発売された「すばらしきこのせかい」の続編タイトルとなります。続編ですが主人公は変わっており、前作キャラたちは基本的に彼らをサポートする先輩のような立ち位置となっています(とは言え出番は多い)。世界観も共通しており、十全に楽しむためには前作の知識は必須と言えます。

 そんなこのゲームが発売したのが2021年7月末。もう1年近く前です。だから「今更」なんですが。現在はPS4、Switch、PC等大体のフォーマットでプレイできます。

 一応このシリーズの概略を説明しておくと、現実世界とは異なるアンダーワールドで日々万能の願いをかけた死神主催の死神ゲームが行われているという設定です。その中でペアであったり、チームを組んで、若者たちが変わっていきます。大体こんな感じ。

 

 それでは順を追って、このゲームのすばらしい点を上げていきましょう。まぁ、私のTwitterをフォローしている人は既に何度も見たことと思いますが、そこはご愛嬌。

 

1.独特かつ目を引くキャラデザイン

 まずはビジュアルから。主人公たちはかなり個性的な服装をしており、キャラデザのタッチも独特です。それは上に貼ってある画像を見て貰えば一目瞭然。

 前作「すばらしきこのせかい」から共通してこのゲームの舞台となる「シブヤ」は、現実の渋谷と同じ街並みであり、様々な人の暮らしや考えが入り混じる雑多な場所として描かれています。その影響で登場人物はみんなそれぞれに個性がある格好をしています。前作同様に作中で訪れることができる多くのショップの店員たちもストリートからゴスロリまで様々なスタイルの人がいたり、主要キャラはそれぞれに好きなブランドがあったりとかビジュアル面へのこだわりはかなり強いです。

 このビジュアルが他にないこのゲームの魅力の一つというのは間違い無いでしょう。

 

2.舞台となる「シブヤ」の完成度

 先述の通りこのゲームは渋谷をモデルとした、というより現実の渋谷そのものの土地の位置関係や、ショップの配置になっています。例えばハチ公前、タワレコ道玄坂等のランドマークがあります。

 そしてこのシブヤを7日間×3週間の間あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと往復することになるのですが、その間にすっかり土地同士の位置関係を覚えてしまうんですよね。そしてこの行き来が現実の渋谷に全く馴染みのない僕にさえ、この街への愛着を抱かせました。

 かつて「ゼルダの伝説スカイウォードソード」の開発時に製作陣の一人が同じ場所を何度も行き来させる仕様について「愛着を持ってもらうため」としていましたが、あちらのそれは手間にしかなっておらず、変わり映えのしない空を行き来するだけの不自由でしかありませんでした。

 しかしこの新すばせかのシブヤは現実をモデルとしながらも、写実的な描写ではなく色使いや「道の両側からアーチ状に迫り出すビル」のような現実の私たちの視覚ではなくイメージに寄せている独特の立体的描写などでとことんまで街のデザインにこだわっているんですよね。だから見ていて楽しいし、「歩いていて」楽しいんです。そして地図を見ずとも目的地への行き方がわかるようになった時に、自分もまたシブヤの一部になったような妙な嬉しさがあります。

 後述の理由で必ず一定期間ごとに店に立ち寄って食事を摂取しなければならず、それもあって更に街への理解度や愛着は深まっていきます。

 また、そこで暮らす人々への思い入れも一つシブヤへの愛着を湧かせます。

 今作には人間関係が網目状につながったキャラクターボードがあり、特定の条件を満たすことでアビリティやアイテムを習得できる他、シブヤで出会う人々の性格や趣味などを知ることができます。

 

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 そして一人の条件をクリアすることで、隣接する(その人物と関わりが深い)人物の条件も解放できるようになります。

 これにより何気なく出会ったショップ店員同士の人間関係や意外な繋がりが時にはサブクエストを介さず展開されます。これが想像以上に気になって、シブヤで様々なショップに通ってアイテムを買い占めたりしてしまうんですよね。先述のビジュアルの良さもあって、ビジュアルで気になったキャラのプロフィールを開放してみたら意外なことに……なんてこともよくあります。

 そこで暮らす人々の何気ない生活の営みを垣間見ることができる上、義務感のあるサブクエやお使いばかりというわけでもない(と言うかほとんどサブクエをこなさなくてもクリアはできる)ので、非常に良いバランスになっていると思います。一部は食事をしているだけで果たせる条件ですしね。

 

3.簡単かつ爽快なアクション

 アクションRPGなので次はアクション部分から。このゲームは基本的にキャラ一人につき一つのボタンが割り当てられており、全員を同時操作することになります。例えば△ボタンは同じスクエニ開発のKHの「たたかう」コマンドのように連打することで相手を斬りつける攻撃、□は連打で弾丸を放ち続ける、R1は長押しでロックオンの後鎖を放つというような形で装備したバッジに応じて攻撃が変化します。

 どのキャラにどのボタン(攻撃方法)を割り振るかは自由。もちろん体力などそれぞれに個性はあるので向き不向きはありますが、良くも悪くも単純なシステムになっています。ガチャガチャするだけでなく、コンボ数を稼ぐことも大事になってくるので、上手くコンボを繋げられた時の爽快感も魅力的。

 またステータス変動についてはレベルアップで変化するのは体力だけとなっており、攻撃力などは食事をすることで上昇します。満腹度が用意されており、それに合わせて食事を取るのですが、店や料理ごとに上昇するステータスに違いがあります。また各キャラごとに料理に対して好物、普通、嫌いのようなリアクションの差異があり、それは選択時の画面でわかります。食事後のセリフもかなり変化します。

 

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↑この場合、全員好物

 そして、好物だとボーナスが入ってステータスの上昇量が上がるという仕様です。

 かなり独特ですが、普通にプレイしていてもすぐに仕様を理解できるようになっているので、この点も簡単で良かったですね。

 

4.素晴らしいキャラクターとシナリオ

 満を持して本題のキャラクター。主人公のリンドウ、相棒のフレットをはじめキャラクターの一部は現代人気質で、それ故の悩みを抱えています。

 例えばリンドウは自分の価値観に自信が持てない人間で、最初は流されるまま、判断を他人に委ねる場面が目立ちます。対してフレットはふざけて誤魔化す癖がついていて、他人に自分の本音を晒すことに臆病です。

 それらの等身大の悩みをデスゲーム(今作のゲームは死神ゲームと呼ばれているのでそういう意味でも「デスゲーム」)的なゲーム背景の中に落とし込むのが非常に上手かったです。

 そして思い悩む彼らを導くように前作から引き続き登場するキャラクターたちが力を発揮したり、新キャラであり3人目のパーティーメンバーであるオタクのナギが潤滑剤として活躍したりと、彼らの関わり合いも非常に魅力的になっています。特に前作で精神的に幼かったキャラたちが同じ死神ゲームを経て成長した姿を見せてくれたことはかなり嬉しかったです。

 また前作同様20時間くらいでクリアできるボリュームなので、非常にとっつきやすいのも○。

 

5.前作とメッセージ性の対比

 ここからはストーリー本編のネタバレになってくるので、気にする方は適当に飛ばしてください。

 

 

 

 

 まず今作の主人公リンドウはある程度前作主人公のネクと対比される存在として描かれています。

 ネクは雑多なシブヤの街やそこに暮らす人たち、そこに溢れる言葉や考えが嫌いで、ヘッドフォンで外界を拒絶していました。座右の銘は尊敬するアーティストCATの「今を思いっきり楽しめ」。その為に彼は他者など我関せず、自分の世界で生きていました。

 そんな彼は物語の最初はペアを組んだヒロインのシキにも無関心で、彼女を振り回し続け、同年代の少年ビイトにも辛辣な態度で彼の神経を逆撫でしてばかり。しかし多くの人と関わり、CATの正体でもある頼りになる喫茶店の主人ハネコマの言葉を受けて、ネクは自分の世界を広げていくことを学びます。そして物語の最後で彼は多くの考えに触れ、自分の世界を広げることこそが「今を思いっきり楽しむ」ことに繋がると気づきます。

 

 対してリンドウは最初から外界にはオープンです。しかし常に着けたそのマスクが(ネクのヘッドフォンのように)象徴しているかは不明ですが、ネクと対照的に彼は自分を出せない人間です。

 自分の価値観に自信がなく、否定はできても肯定ができず、これが自分の考えだと、これが自分の好きなものだと強く言うことができない。いつも判断は他人任せで自分の意志で選択するということができない少年です。

 そんな彼にとってのCATこそが、人生相談もしているネットゲームの友人「スワロウさん」と、ネット上にポエムを投稿しており死神ゲームにも参加していたモトイの言葉。

 しかし物語の中でスワロウさんとは音信不通になり、彼(彼女)に頼れなくなったリンドウの他人任せな部分が浮き彫りになります。更にはモトイ本人の口から彼の言葉が全て借り物であり、彼が自分と同じで自分で選べない人間であると突きつけられてしまいます。スワロウさんには頼れず、モトイには幻滅し、心の支えを失ったリンドウはそこで初めて仲間たちに対して本音を打ち明けます。

 そして路頭に迷うショウカを仲間に誘うなど、徐々に自分で決断を下せるようになり名実ともにチームのリーダーへと成長していきます。

 他者の価値観に流されるのではなく、自分の価値観で、自分の意志で決断を下す人間に成長していく過程は正にネクの真逆。その辺りの対比も続編として非常に面白く、それらのストーリーを独特のイラストや音楽、魅力的な会話シーンで軽快に描ききっている点が傑作たる所以ですね。

 

6.問題点

 で、最後にこの作品の問題点についてですが……5で語ったように今作の面白さの一つに前作との対比があって、そもそも世界観説明や前作から登場するキャラの多さもあって、前作をプレイすることはほぼ必須なことなんですよね。

 そんで前作が新すばせか発売当時でさえ14年前のDSソフト。しかしそこはご安心。新すばせか発売の数年前にSwitchでリマスター版が出てるんですよ。少なくとも購入のハードルは下がっています。

 が、このSwitch版というのがまた難儀なやつでして、操作性の悪さがとんでもない。本来はDSのタッチパネルを用いたタッチペンによる直感的な操作だったんですが、Switchの液晶操作では微妙に反応が悪くて敵の速度に対応できない。

 じゃあSwitch版で追加されたボタン操作はどうかと言うと、基本となるスラッシュ攻撃に使うドラッグ操作などが非常に使いづらい。

 結果、戦闘パートがぐだりがちで、かなりストレスフル。シナリオは十二分なだけに、かなり惜しく、オススメできない出来となっています。

 とりあえず一番安定な選択肢は新すばせか発売前の春に放映された「すばらしきこのせかい The Animation」を見ることです。まぁ、これもRPG原作アニメの例に漏れず、仕方ない話ですが「自分で体験するが故のキャラへの思い入れ」が欠けており、戦闘部分がどうしてもあっさりしていたり、淡々と進んで見えるがためにメッセージ性の部分が少々見えづらかったりという難点はあります。ですが、大まかに知りたければこの一本で良いでしょう。アマプラにはあるらしいので、益々これが無難かなと。

 

 とにかくこの前作履修の難易度くらいしか問題点が浮かばないくらいには大傑作です。

 

 Switchの方では割としょっちゅうセールをやっているし、プレイ時間や難易度もお手軽。どうやら記事執筆時の今もセールをやっているらしいのでこの機会に是非どうでしょうか。

 

 それでは今回はここまで。ありがとうございました。

 

 

 

雑記 好きな映画でフルコース作らないか?

 オタクです。今回やることはタイトルの通りです。

 トリコってあるじゃないですか?で、ネットやってたら絶対目にするコレ、あるじゃないですか?

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 コレ見てて思ったんですけど、好きな映画でフルコース作ってみたら絶対楽しいですよね。ということで作ってみました。

 僕がカバーしてる範囲は極めて狭い上に洋画か日本アニメ映画が候補になってしまうのはお許しください。

 あと僕は料理に詳しくないのでなんとなく「前菜」とか「肉料理」みたいなジャンルの名前から連想するイメージに近い映画選んでます。ちなみに今回はネタバレなし。ここにあるのが僕の人生ベスト8の映画というわけでもなく、ある程度はバランス考えてます。

 映画という媒体の性質上そんなもの作ったところでまとめて順番に見るなんてことはないんですけど、それでもこういう形で今まで数多出会った好きな映画たちとの出会いや思い出を振り返るのも一興。そんなわけで早速前菜から。

 

  1. 前菜

 前菜と言うとなんというか少しだけ映画の価値を貶めているような捉え方されそう(それこそ本来の料理の前菜に失礼)なんだけども、今回は「ハードルが低くてスッと入ってくる映画」を選びました。その一本がこちら。

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フットルース(現代:Footloose)」

 言わずと知れた名作の一つ。サウンドトラックが凄まじく高い知名度を誇るケヴィン・ベーコン主演の青春ミュージカル映画

 ケニー・ロギンスの歌う表題曲のFootlooseをはじめとする軽快な楽曲と共に話も非常に簡潔に進行しますし、爽やかな後味も最初の一本として良いのではないかと。

 楽曲が優れているだけでなく、物語にも素晴らしいものがあります。新たな文化を愛好する若者と既存の文化やそれを守る大人たちとの確執を、ただ大人を批判するという形ではなく、双方が歩み寄り言葉を尽くし理解し合おうとする姿勢を尊重するという形で解決しているのが非常に好印象です。

 

2.スープ

 ここも比較的軽く行けるものがいいかなと言うことで時間が短く、アニメーション、けれどメッセージ性(深み)のある作品をということで選んだのがこちら。

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「トレジャー・プラネット(原題:Treasure Planet)」

今回選んだ作品の中では一番マイナーかな? ディズニー映画ですが知名度はかなり低く、僕と同様に幼少期にケーブルテレビを見て育った人たちがディズニーチャンネルで観たことがあるかなぁというくらいの作品。

 ですがこれが大傑作。父の蒸発以降、全く見えない将来に不安を感じ、一人機械いじりと危険な遊びに興じる少年ジム。そんな彼が偶然宝の地図を手に入れ旅に出航。そこで出会ったサイボーグのシルバーとの間に奇妙な友情が芽生え、徐々に彼に父親の面影を重ねていくが……。というあらすじ。

 漠然とした未来への不安を抱えるジムにシルバーが贈る言葉の数々、旅の中で未来の舵を握る一人の立派な人間へと成長していく姿。そして物語を締めるジムのセリフ。全てが「少年が大人に至る物語」として非常に素晴らしく、そして爽やかなものとなっています。

 

3.魚料理

 ここに関しては「映画に魚ってなんやねん」という話になったのでジャンルと映画に関係はないです。(友人はシャークネード5をぶち込んでいた)この枠は好きな映画の中で他のジャンルに入れられなかった映画を入れましたが、強いて言うならば「骨を自分で抜く→メッセージ性を汲み取る必要がある」社会性の強い映画ということになるんですかね(後付け)。「丁寧な映画」という意味で「最強のふたり」なんかも人によってはここに入るかも?

 兎にも角にも次の映画がこちら。

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「コーチ・カーター(原題:Coach Carter)」

 この映画は弱小バスケ部のサクセスストーリー……でもあるんですが、それ以上に腐敗した社会で「大人」とは何か、「大人」が果たすべき責任は何かという部分を痛烈に描いた傑作です。

 実話をもとにした話でもあり、アメリカの治安の悪い地区に暮らす若者たちが如何に未来を閉ざされているか、そのことに大人が如何に無責任かという部分が描かれています。しかし決して批判的に話が展開されるわけではなく、そのような環境を変えるために奮闘する主人公のカーターや、少年から大人に成長していく選手たちの姿にはすごく前向きな力をもらえます。

 

4.肉料理

 これはもう「この映画入れるならここやろ」というイメージで即決しました。

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ジュラシック・パーク(Jurassic Park)」

 言わずと知れた大傑作。まず公開から30年近く経った今までまっっっったく見劣りしない素晴らしい映像。そして(シリーズのいくつかの作品と違って)メッセージ性の込められた脚本。全てが「映画」として完成された素晴らしい作品ですよね。映像史みたいな規模で見ても、歴史の分岐点というか、急速に進化を遂げた特異点の一つなんじゃないですかね。

 ちなみにNetflixで映画制作の裏話みたいなのが聞ける「僕らを作った映画たち」というドキュメンタリーで、当時あの歴史を変えた映像が如何にして作られたか特集してます。

 これで一作目がロストワールドやら3レベルの脚本だったら歴史がどうなっていたのかも気になるところ。

 

5.主菜

 お待たせしました。言わずもがな個人的な「最強」をぶつける所。前置きはいらない。

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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(原題:Guardians Of The Galaxy)これが僕の「最強」です。

 これまた以前も紹介しましたが、やはりこの作品は映画という娯楽(エンターテイメント)にとって一つの王道と言えるのではないかと。例えばゲームにおける「ラチェット&クランク」のように、シンプルに媒体の「楽しさ」を詰め込んだら、こんなものになるだろうなという作品。

 ずば抜けた映像と音楽のセンス、個性的な登場人物と彼らが織りなす下品で軽快な会話、そしてロクでなしが立派なヒーローになるまでの成長を描いた「ド王道」の脚本。全てが合わさって完全無欠、最強無敵の映画になってます。これ以上語ることはないでしょう。

 

6.サラダ

 主菜の次はメッセージ的な部分は軽めがいいかなとコメディ映画からこの一本。

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ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い(原題:The Hungover )

  以前も当ブログで紹介しましたが、数々の映画賞にノミネート、更にはゴールデングローブのミュージカル・コメディ部門で作品賞を受賞した傑作コメディ映画です。ジャンルとしてはロードムービーでもあります。

 良作コメディ映画らしく非常に整ったテンポと、コメディ映画では中々見ない、様々な要素が緻密に配置された意外性満載の脚本が更に軽快さ、痛快さを倍増させる超傑作コメディです。

 

7.デザート

 次の映画は正直ここに置くか迷いました。ぶっちゃけ普通にメイン級の映画です。ただアニメというだけで無理やり「軽めやろ」ということにしてここにぶち込みました。本来なら恋愛映画でも入れようかと思いましたし、思いついた中では「ローマの休日」が食後のデザートに丁度良いと思います。が!どうしても僕のフルコースにこれを入れたかった!

 そんな一本がこちら。

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スパイダーマン:スパイダーバース(原題:Spider-Man : Into The Spider-Verse)」

 公開以降は年に2、3回は見てる大傑作。スパイダーマン映画史上最高傑作です。

 これも何者でもない少年が成長していくという物語としてはトレジャー・プラネットと同じですし、ヒーローになる物語としてはGotgと同じです。つまりそれなりに被ってしまってるんですよね。

 

 でもね!いいんすよ!僕はこういう味が好きなんすよ!

 多くのスパイダーマンが登場する本作では繰り返しスパイダーマンのオリジンが「お決まり」として描かれています。そして同じ運命を辿るように主人公のマイルスの物語が描かれ、その中で「ヒーローとは」「スパイダーマン」とはという部分が浮き彫りになっていきます。

 まずは一回見て欲しい。様々な質感のスパイダーマンが並び立つアニメーションとしての異質さも然ることながら、どのスパイダーマンも「スパイダーマン」そのもので、「なぜスパイダーマンがかっこいいのか」が再確認できる作品になっています。

 見終えた後の爽やかな感じはデザートでいいんじゃないすかね。

 

8.ドリンク

 本来ならコーヒーやら紅茶で最後に落ち着かせる所らしいですね。なので最初は「スタンド・バイ・ミー(原題:Stand By Me)」で落ち着いた爽やかな終わりにしたかったんですが……。

 

「それでええんか?」

 

となんとなく思ってしまったので、ここでかますことにしました。ていうか邦画どころかアメリカ以外で制作された映画が一本も入っていないのもなぁと思ったので最後はドイツからこちらの一本。

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「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(原題:Knockin' On Heaven's Door)」

 

 はい、食後にテキーラぶち込みます。ざっくり紹介すると、余命宣告を受けた真面目な若者と不良の若者が海を見るために旅に出るロードムービーです。病院を脱走した彼らがパクった車が偶然にもギャングの金を乗せた車だったために、道中様々な珍事や荒事を引き起こしていくという話ですね。

 余命宣告を受けた身でありながら、この「人生最後の旅」の間、彼らはその悲哀を時に滲ませながらも痛快に笑い続けます。破滅的な生き方や旅ではありますが、失うもののない彼らは逆に言葉では形容し難い「何か」、救いのようなものを得ていくのです。

 物語の結末はあらすじの時点で察しがつくと思いますが、そのエンディングさえも悲劇的に描くのではなく、彼らが海に見た「何か」に心惹かれてしまうような、しみじみと感じ入ってしまうような終わりになっています。

 旅の終わりというのは無条件に「エモ」ですし、それはまぁ古今東西RPGやらを触ればわかるわけですが、この映画を見て思ったことは「ロードムービーRPGと一緒で、旅の終わりに振り返った時に押し寄せる寂しさや懐かしさ、色んなものが入り混じったこの感情が全てで、この感情を残すことが旅の、作品の意味なのかなぁ」ということですね。そのくらい視聴後の余韻が独特な素晴らしい一本。

 

 ということで(途中からオススメ映画紹介になっていましたが)フルコースの完成!

 

前菜 フットルース

スープ トレジャー・プラネット

魚料理 コーチ・カーター

肉料理 ジュラシック・パーク

主菜 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

サラダ ハングオーバー

デザート スパイダーマン:スパイダーバース

ドリンク ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア

 

 以上、これが僕のフルコース。全体のバランスを考えて入れた方が良い映画や、ここにある映画より好きな映画はありますが、取り敢えず今回はこれで。これからも大量に修正が入るでしょうが今はこれです。

 

 今回はこれまで。みなさんも是非このフォーマットを使ってアニメやら漫画やらでもランキングではなくフルコースを作ってみてはいかがでしょう。それではまた次の記事で!

 

 

 

 

 

 

 

 

オマケ

今回の選考漏れも含んだ参考リストです。

ハングオーバー

ジュラシック・パーク

コーチ・カーター

Gotg

アベンジャーズ・エンドゲーム

スパイダーバース

トレジャー・プラネット

天気の子

MIB 2

バッドボーイズ

ボヘミアン・ラプソディ

フォードvs.フェラーリ

ジョジョ・ラビット

ショーシャンクの空に

スタンド・バイ・ミー

ノッキン・オン・ヘブンズドア

ULTRAMAN

シン・ウルトラマン

アルマゲドン

トゥルーマン・ショー

イエスマン

アバウトタイム

きっとうまくいく

犬王

 

 多分これでもまだまだ漏れあります。ULTRAMANは入れたかったなぁ。あとテレビアニメと連動している作品やFate HFみたいな三部作とかは外しましたが、「劇場版少女歌劇レヴュースタァライト」辺りも入れたかった。この縛りのせいで日本のアニメが結構外れたところあります。それとは無関係に本来ならデザート枠に丁度良い作品に「サイダーのように言葉が湧き上がる」とか「映画大好きポンポさん」とかあったんですけどね。思い入れで負けましたね。

 好きな映画が80年代洋画に多いと思ってたので今回ほぼ入らなかったのは意外でした。

 あとガンダム入れるのもなぁと思ってF91とか候補外です。

 

 以上、作成を終えての感想でした。

雑記 梨穂子のASMRを買ったよ

 3ヶ月ぶりです。なつです。気圧やら温度差やらのせいなのか、それとも元来の気質故なのか妙にクソ暑くなるGWから梅雨にかけてのこの季節は特に精神的にも肉体的にも活力が湧かない私なのですが、そんな私に一つ朗報がありました。そう、皆さんご存知アマガミのヒロイン、桜井梨穂子のASMRが発売されたんですね。

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 遡ること2020年12月。大阪は日本橋にて、これまで買う機会を逃していたアマガミ(PS2)を買いました。元々中学時代にアニメは見ており、地元の大型中古ゲーム屋で一度だけ見かけて「アニメ良かったし買おうかな」と迷った挙句、その時は買わなかったんです。その後ゲーム屋で見かけることはなく、僕は時折「アマガミやってみたいなぁ」とは思っていたんですが、結局やらず終いになっていました。

 しかしTwitterのフォロワーとアマガミの話をした数日後に日本橋駿河屋に佇む絢辻さんを見つけたということは、やはりこのゲームをプレイする運命だったのでしょう。

そんなこんなでアマガミを初プレイした私ですが、最初に誰を攻略するかは悩みました。しかし無類の幼馴染ヒロイン好きな私が最初に選んだヒロインこそが、そう今回ASMRが発売された梨穂子だったんですね。

 その後、僕がどのように梨穂子に脳を破壊されたかは僕のTwitterアカウント(@natsu_andonuts )にて「梨穂子」とワード検索をかければ簡単に窺い知ることができると思います。多分、かなりキツイ妄想駄文が並んでいるのでオススメはしません。

 

 兎にも角にも、そんな私でしたので初めて情報を見た瞬間に「こらぁもう買うしかなかとね」と即決し、発売したその日に購入した訳です。

 

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↑ちゃんと買った証拠です。

 

 結果から言うと買って良かった。ありがとう、梨穂子。

 声だけなのに、梨穂子の表情やリアクション、どう動いているかとか、そういう情報が全部頭にゲーム画面、アニメ映像として見事に浮かび上がるんですよね。いや、本当に簡単に想像できますよこれ。もうね、「見えます」もん。これ多分、僕の想像力がどうこうじゃなくて、アマガミプレイヤーなら多分みんなできると思うし、このASMRの標準機能なのかもしれない。

 

 そもそもアマガミ自体がヒロイン達の解像度(という表現が正しいかわからない)が凄くて、些細な行動や言動について「この子はこういうこと言ったら(したら)こうリアクションするだろうな」とか想像しやすいってのは大きいと思います。彼女たち「らしさ」が物凄く想像しやすいですよね。そういう妄想もひとつ、このゲームの醍醐味かも知れません。

 

 まぁ、とにかくそういう風にどう動いているか簡単に想像できる梨穂子でしたので、映像がなくてもめちゃくちゃ大満足でしたね。寧ろそうやって想像する過程こそが一番楽しかったかも知れません。その上で音声の出来は言うまでもなく良かったし。

 まだ聴いてない人のためにあまりネタバレはしたくないんですけど、最後に梨穂子が「ちゃーんと覚えてといてね、純一」と言うシーンで無事に死亡しました。

「ボイスドラマってこういうのでええねん」って感じでしたね。

 

以上、本日の雑記でした。

皆さんも是非是非アマガミをプレイして梨穂子のASMRを聴いてみてはいかがでしょうか。それではまた次の機会に。

 

 

「哀しき怪物」は救うべきか? スパイダーマンNWH

半年ぶりです。なつです。

今回は主に今年の年明けに公開されたスパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(以下NWH)についてネタバレを挟みながら語りつつ、タイトルの問いについて語っていきます。

あまりポジティブなレビューにはならないので予めご了承を。

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今回主に扱うのは以下のテーマ。

1.そもそもMCUスパイダーマンとは何なのか

2.今作のピーターの「失敗」について

3.「哀しき怪物」をどう扱うべきか

ざっとこんな感じです。

 

1.そもそもMCUスパイダーマンとは何なのか

 

 この記事の大前提として私はコミックの愛読者というわけでなく、知識は映画シリーズのみにとどまっていることも予めご了承ください。

 

 一つ目のテーマですが、まずはMCUスパイダーマンがシリーズを通して他の映画シリーズとどう違ったかを語っていきます。他の映画シリーズとはサム・ライミ版、アメイジングスパイダーマン、スパイダーバースの3シリーズについてですね。(現時点ではスパイダーバースは単独作品ですが続編が決まっています)

 これら3シリーズはそれぞれ設定が違っていても基本的に「スパイダーマン」というヒーローを構成する要素は同じです。特にスパイダーバースでは様々な設定を持ったあきらかに質感から違う複数のスパイダーマンが登場しますが、それでも彼らには必ず共通している要素があり、寧ろそれらの要素こそがスパイダーマンスパイダーマン足らしめていると強調しています。

 それらの要素とは「大切な人を喪った過去がヒーローとしての起源であること」「自らの力と普通の生活の狭間で苦悩する等身大の人間であること」が主に挙げられます。前者は基本的にはベンおじさんを自らのせいで喪ったことと、彼が遺した「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉が彼の根底に残り続けるということ。後者に関しては正体を隠しているが故に中々周囲に理解もされず、時には孤独を感じながらも責任を投げ出さずに運命を受け入れて戦い続けるということ。

 後者に関して少し余談になるかもしれませんが、スパイダーバース作中で

 

「人生には選ぶ時が来る」
「選ぶ自由があるの?」
「今はない」
という父とマイルズの会話

 

「嫌だ、(スパイダーマンに)なりたくない」
「選択の余地はない」


というマイルズとピーターの会話が挟まれており、「避けられない運命に翻弄されること」がスパイダーマンのメインテーマの一つであることが色濃く現れています。より正確には運命に翻弄されながらも、自分の意志で「選んで」ヒーローになることが彼らが必ず辿る道であると言えます。

 これを更に補足するシーンがアメイジングスパイダーマンのエンドロール手前で教師が「全ての物語のテーマは常に一つ。「自分が何者か」というものだけ」と語るシーン。正にこれはスパイダーマン映画全作品に共通するテーマです。自分が「ピーター・パーカー」なのか、「スパイダーマン」なのか。思い悩みながら、それでも彼らは戦い続ける。

 

 で、長々語ってきた、これら3シリーズが共有しているコンセプトに対してMCUはどうかと言うと、かなり毛色が違います。

 そもそもMCUではベンおじさんが登場しません。ジョン・ワッツ監督によれば存在はしていたようですが、

 

「僕は(スパイダーマンの)起源を描くつもりはないので、あまり詳細を明らかにしたくはなかったんです。(中略)大事なことは今までに見たことがないスパイダーマンを見せることであって、その起源を語ることではなかったんですよ。」

 

引用元 https://cinema-tronix.com/does-mcu-spider-man-have-an-uncle-ben/

 

とのことです。(このインタビューはFFH公開時のもの)

 で、ベンおじさんがいないということはつまり、上記の監督のセリフの通り今回のピーターにはオリジンが存在しません。その結果このシリーズにおける「スパイダーマン」というヒーロー像がどうなったかというと、ただの「等身大の少年がヒーロー」という程度の枠に収まってしまっています。

 更に言えば今作のスパイダーマンは市民の親愛なる隣人としての側面も非常に薄いものになっています。ですので、従来の実写シリーズで見られた市民の協力や援助といった展開は皆無に近いです。

 

 前置きが非常に長くなって申し訳ないですが、このMCUスパイダーマンが抱えていた従来のシリーズとの違いこそが以下に続くテーマに非常に大きく影響してくるわけです。

 

2.今作のピーターの「失敗」について

 

 上記のMCUスパイダーマンの特異性を踏まえて改めて今作の展開について整理します。

 前作FFHのラストでピーターはミステリオにより全世界に正体を知られ、結果ピーターと彼の周囲の人々の人生は大きく歪められてしまいます。要は主な原因はミステリオの悪意にあるにせよ、間接的にですがスパイダーマンであること、その力がピーターを苦しめます。

 ここに至り、ピーターはストレンジを頼り、ストレンジも反対を受けながらも共に戦った仲ということで、世界からピーターに関する記憶を消去する魔術を行使しますが、行き当たりばったりで始めたこの魔術が大失敗。そして各世界から歴代スパイダーマンヴィランを呼び寄せてしまうわけです。

 その後、自分のせいでこの世界に呼び寄せてしまい、本来の世界に戻れば死んでしまう彼らを救う術はないかとピーターが奔走。そしてその過程でグリーンゴブリンの手にかかりメイ叔母さんが死亡。この一連のくだりで今シリーズにおいて初めて「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉が現れます。

 

 もうみなさんお察しかと思いますが、今作のシリーズにおける役割は恐らく「スパイダーマンのオリジン」を描くこと。別の二人のスパイダーマンが登場することもあって、改めて彼らと共通するスパイダーマンの宿命をピーターに背負わせようということでしょう。

 そしてこの展開についていくつか不満な点を挙げていこうと思います。

 最初にピーターとストレンジ、この二人のヒーローが犯してしまった大失態。後に続く展開から、この失態こそがこれまでのシリーズにおける「ベンおじさんの死に繋がるピーターの傲慢な振る舞い」と同じ役割を果たしていると考えられます。使うべき時に使わなかったことと、無計画に特別な力を行使してしまったことという点では対照的ですが。

 まずこれについて言いたいことは「今作が初登場ならまだしも、仮にも数作品に渡ってヒーローやってきた男達が揃って何を無責任なことをやっているんだ?」という話です。勿論、あのまま放置すればMJやネッドの人生はメチャクチャになっていたことでしょうし、できるなら何とかしてあげたい。けれど、その為にスーパーパワーを行使する、それも無計画に行ってしまったという無責任さはヒーローとして非難されるべき事態です。(まぁ、悪い意味でアメコミヒーロー的かなとは思いますが。ストレンジの性格的にもなくはない失態とは言え、流石にもう少し責任感を身につけていて欲しかった)

 

 で、次はもっと根本的な話になりますが

 

「お前ら今更それやんの?」

 

という話です。

 そもそも初登場からオリジンの話を「敢えて」しなかったんですよね?

ヒーローにとってその始まりとは「何故傷ついてまで人を救うのか?」「この主人公はどのような人物なのか」という部分を強い共感や理解を持たせて描くことで、彼らの姿に憧れや応援の気持ちを寄せさせる重要な要素です。言わばヒーローの本質はそのオリジンに表れているわけです。

 それを「敢えて」カットしたんですよね?

それでもスパイダーマンを魅力的に描ける自信があったんですよね?

 

「それを今更やるんですか?」

という話です。しかもこのタイミングで今更初歩的な大失敗をしてしまうことで、「じゃあこれまでの彼は何だったの?」という気持ちになります。

 無責任に、無計画に力を使ってはならない。その程度のことはヒーローとして活動を続けているなら、当然嫌というほど身を以て知っているはずのこと。

 正直、ここに関しては物凄く拍子抜けでした。まさかメイ叔母さんが死ぬとは思ってませんでしたが、死んだ時は驚くと共に「え?今更こんな展開を二作も映画をやったキャラでやるの?そこまでしなきゃピーターはヒーローとしての精神的成長ができないの?」とガッカリしました。(主に自分の過失が原因で)取りこぼした命という展開を既に何度か危機を救っているヒーローでやるのはあまりにも愚策かなという印象を受けます。

 

3.「哀しき怪物」をどう扱うべきか

 では、最後に扱うのが本題。メイ叔母さんの間接的な死因でもある「哀しき怪物」を救おうとする行為についてです。

 今作でピーターは別の世界から来たヴィランたちを救おうとします。それは元の世界に帰れば死ぬことが確定している彼らを、そうと知りながら見殺しにはできないという気持ちからです。確かにその判断や裁量は一人の人間、増して等身大の青年であるピーターには重すぎます。

 とはいえ、「大いなる責任」とはまた違う話かもしれませんが、それでもその決断を下せるのはピーターだけ。再びこの世界に放つリスクは当然考えてしかるべきです。少なくとも、怪物としての特異な状態が解除されるまでは肉体的自由を拘束するのは当然の処置と言えます。それすらせずに、結果グリーンゴブリンにしてやられて人命を失っているというのはストーリーラインとしても少々お粗末です。

 

 そして何より大事なことは「哀しき怪物」はあくまで「怪物」。どのような経緯であれ、一度悪事を犯したならば「怪物」です。罪のない「人間」より優先される「怪物」の命などこの世にありません。それは僕らが人間で、ヒーローが「罪なき人々の味方」という定義である以上決して変わりません。

 哀しき怪物を救うなという話ではありません。救おうとするならば「100%確実な解決手段がある」状態で、その上結果論にはなりますが必ず全ての命を「救った」という結果が必要だという話です。それが責任の取り方です。

 例え一匹の「怪物」を一人の「人間」に戻せたとて、そこに罪のない人の犠牲が伴えばその時点でその物語は価値を失います。

 罪なき人々と哀しき怪物を比べた時、絶対にその優先順位だけは間違えてはダメなんです。

 

 この辺りの倫理観、線引きについては昨今の作品でも多少連想されるものがありました。以下、該当作品のネタバレがあるのでご注意を。

 

ジュラシック・ワールド 炎の王国

(原題:Jurassic World Fallen Kingdom )

 この作品のラストシーンではクローン技術で生み出された少女が自分と同じくクローン技術によって生み出された恐竜たち、その命を見殺しにできず世に放ってしまいます。そして原題通りに人間の「王国」を失墜させるのです。その決断の是非や、その場面を説得力があるものとして描けているかはこの際置いておきます。

 この作品はこのシーンで「人のエゴによって生み出された怪物を人に裁く権利があるのか」というテーマを投げかけたかったのだと思います。が、私に言わせれば考えるまでもないことです。「人の命より優先されるものなどない」、これに尽きます。

 

「全ての命は平等だ」

それは事実でしょう。

「人は罪を犯す愚かな生き物だ」

それも事実ではあるのでしょう。

 

でもだからと言って

「人の罪が生み出した哀しき怪物は罪なき人々に害を成すとしても救います」

とはなりません。絶対に。人々の命を脅かす可能性と天秤にかけて、どこかで線引きをしなければならないのです。

 私がそう考えるのは、これらの作品を見ている私は「人間」だから。それ以上の理由は要りません。この作品の場合NWHと違って人間とは違う、彼らもまた罪のない生き物なので、少し話が変わってくるでしょうが、それでも結論だけは同じです。確かに彼らの命を奪うことが「正しい」決断だとは言えません。特に今作の場合、禁忌を犯したのは人間で生み出された恐竜ではありません。しかしそれでも、どうしても私はこの作品に共感を覚えることも、倫理観を揺さぶられることもありませんでした。

 人間が生物である以上自らや、種全体に害を及ぼす決断など肯定してはならない。人間がそこに生きることを否定してはならない。私はそう考えているからです。

 

 また、上記のジュラシック・ワールドとはまた別の話になりますが、この線引きに関して私が特に共感を覚えたのが、皆さんご存知、鬼滅の刃

 鬼滅の刃に登場する鬼たちの多くは生前に悲劇的な過去を経て鬼へと変貌しています。しかし作中で彼らの過去に主人公の炭治郎が同情を寄せることはあれど、決してその罪を赦すことはありませんでした。

 11巻の最後に収録されている「何度生まれ変わっても」などが特にわかりやすいと思います。どれほど悲劇的な過去があろうと、そこに同情の余地があろうと犯した罪、ないし人々を危険に晒す可能性は決して赦されず看過できるものではないのです。

 

 さて、長くなってしまいましたが総括です。話をスパイダーマンNWHに戻すと、この作品の過ちはいくつかありましたが、最大の過ちはやはり「哀しき怪物を救う為に罪なき人が犠牲になった」こと。

 そしてタイトルの問いに対する答えは「必ず救える方法がないのならば、全ての命に責任が取れないのならば救おうとしてはならない」そして「救おうとしたならば必ず犠牲なしに救わねばならない」というものです。

 

 では、今回はここまで。お疲れ様です。ご高覧ありがとうございました!

 

ラティアスって凄いのよ

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お久しぶりです、なつです。今回は「劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスラティオス」よりラティアスの凄さについて今更語っていこうと思います。

 

ラティアスはかわいい。これは今更言うまでもないことです。ポケモンに関する話題で萌え豚の口から出る言葉は一にサーナイト、そして二言目にはこの映画のラティアスと言っても過言ではありません。

ですから今回は今更どのシーンが可愛いだとか、そんな話をするつもりはありません。デザインについても同様に語りません。

ではデザインでもキャラ描写でもない今回のテーマは一体何なのか。それはこの映画におけるラティアスというキャラクターの極めて特異な立ち位置と人々に与えたダメージです。

 

まずこの作品におけるラティアスは広義においてヒロインと呼んで差し支えないでしょう。人の言葉こそ喋りませんが、彼女は主人公と出会い交流をし、物語を動かすキーパーソンなのですから。しかし「ヒロイン」という言葉は近年では「主人公と恋仲になる」或いは「主人公に恋愛感情を抱く」という意味合いが強くなっています。正確に表すのであれば、そのような意味合いで用いる人が増えました。

ラティアスがそのような意味合いで「ヒロイン」であったかは置いておきます。一番の問題はポケモンであるヒロインのラティアスが主人公サトシにどのような感情を抱いていたかという点ではないからです。

一番の問題は物語を追う中で一部の視聴者が彼女に向ける感情が犬猫など「可愛らしい動物」に向けるそれから、「ヒロイン」にむけるそれに変わってしまったことです。

この一つの大きな倒錯は非常に大きな意味を持ちます。視聴者は仔犬のように無邪気にサトシと戯れるラティアスに最初は「可愛らしい」「癒される」というような感情を抱きます。そして物語を追う中で健気に頑張るラティアスの姿にサトシとシンクロし「こいつを救ってやりたい」という感情を強く抱くようになり、物語が決着した時には彼女の境遇に深い同情を抱くわけです。

そして歴代ポケモン映画で最も話題になるシーンの一つである、この映画のラストシーン。ここに全てのプロセスが完結します。

カノンの姿を借りたラティアスと思しき少女(最近久しぶりにこの映画を見たが思ってた以上にカノンとサトシの絡みが少なく、この場面がカノンである理由がなかった)が別れ際にサトシにキスをし、物語は幕を閉じます。このシーンで多くの少年がラティアスという「ヒロイン」に恋をしたことでしょう。

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彼女のキスはまず間違いなく彼女なりに最大級の感謝、愛情を表したものです。(子供向けなのでライトな表現をしたという背景もありますが、頬にしていることも根拠になり得るか)勿論ここでいう愛情とは性愛に限らず家族や友達に向けられるものも含みます。しかし既に述べた通り、ここでラティアス自身の感情はそれほど問題ではありません。このシーンで萌え豚に限らず一部の、それでいて多くの少年たちが決定的にラティアスを「ヒロイン」的な好意の対象と捉えてしまったことが重要です。

自分が彼女に向けている愛情が物語序盤に抱いた可愛らしく無邪気な動物に向けるようなものなのか。それともキスシーンにときめいたように可愛い「ヒロイン」に向けるものなのか。感情の変遷の中で二つの愛情の線引きが曖昧になり、混ざり合い、自分が倒錯しているのか否か、それすらもわからなくなります。

このような鮮烈な出来事は他のキャラクターでは早々起こり得ないことです。これこそがラティアスの他にない特異性であり、素晴らしい点です。

ラティアスがサトシに向けた感情など些末な問題であると言いましたが、私は逆に問いましょう。貴方がラティアスに向ける感情の正体を貴方は把握していますか?

 

以上が今回の本題になります。長々とお付き合いいただきありがとうございました。

 

ここで一旦区切って、以下しばらくはやや下品な話題と駄文が続きます。

記事の中でサラッと触れたサーナイトラティアスはPixivでR-18イラストが多いことで知られています。他にも多くのポケモンのいかがわしいイラストがネット上に上げられていることは今更言うまでもないでしょう。

別に私はそれらを否定するつもりはありません。しかしどうしても許せないことがあるのです。それは胸部や臀部など一部を人間的に表現したポケモンのR-18イラストです。

ポケモンに性愛を向けること自体は大いに結構です。私はそこまで嗜んではいませんが、一定の理解が可能です。既にラティアスにおける倒錯について扱った通り、このような現象に人を惹きつけるものがあると思います。流石にニドクインラプラスでは抜けませんが。

しかし、しかしです。その容姿が人間的になった途端に「それは違うんじゃねえかなぁ!」と思ってしまいます。それは結局人間で抜いていることと大差ありません。形状まで含めてそのポケモンです。いつかサーナイトに人間的な胸部と臀部を付加したイラストをアップロードしている輩と出会うことがあれば、ぶん殴ってしまうかも知れません。言い忘れましたが、私は萌え豚なのでサーナイトが好きです。あの儚げな姿にこそ魅力を感じるのであって、そこに巨乳はアンバランスでありノイズにしかなりません。

ラティアスの倒錯のような大きな精神的プロセスを抜きにしてシンプルに異常性癖的な観点から見ても、彼奴らは結局「ポケモンっぽい人間」でしか抜けない弱者です。私のような正常な人間にもなれず、異常な人間にもなれず、どちらにもすり寄るような巨乳化ポケモンを描いているのです。哀れな性欲の敗北者です。THE 王道の萌え豚人気ポケモンでのみ抜いている奴よりも、ドスケベ界のドマイナーポケモンを態々人間化して抜いている奴の方が弱いです。

少し言い過ぎましたが、これが今回私が一番伝えたかったことです。

それでは改めてありがとうございました。

原作ファンから見た「実写ぐらんぶる」感想

お久しぶりです。なつです。

今回はタイトル通り、絶賛公開中の映画「ぐらんぶる」について原作ファン視点から語っていきます。

ガンガンネタバレしていくので嫌だという人はここでブラウザバック。

 

1.舞台改変

2.キャラ改変

3.ビジュアル面の問題

4.コメディ映画として

5.総括

といった順番にお話ししていきます。

 

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1.舞台改変

まず本編開始初っ端に驚かされましたが、実写版ぐらんぶるは原作の伊豆半島という設定から大きく逸脱した離島のキャンパスという設定です。これには特に文句がないです。むしろこの舞台設定がこの映画をまとめていると言ってもいい。

基本的にぐらんぶるはただの大学生の話なので、大きなメインストーリーはありません。日常系と同じように物語に「目的」がないんですよね。したがって2時間の映画にするとなると結構困ると思うし、実際私も公開前は「どこからどこまでの話をやるんだろう」「何を本筋にするんだろう」と不安でした。例え原作再現が上手くいったとしてもショートストーリーを数本詰め込んだだけの2時間の映像では一作品とは言えず空中分解してしまうからです。

そこで活きたのが離島という設定でした。物語最終盤に明かされますが、伊織と耕平がダイビングを始めた理由にはもちろん初めて知った海の世界への憧れもありますが、離島脱出という野望があったのです。まぁ、原作では二人を始めとする人物全員がダイビングを愛してましたし、そこに僅かでも打算が入るのはどうなんだとか、そもそも二人は速攻でPabに馴染んで辞めたいとか一度も考えてないとか、言いたいことがあるのはわかります。しかし、一本の映画としてまとめるために「目的」を与える改変としては中々の腕だと私は感心してしまいました。原作よりやけに仲の良い伊織と耕平も、この「目的」のための運命共同体という設定なら肯ける。極端に原作を冒涜する改変でもないため、私的には「巧さ」への関心が勝って、中々良い改変に思えました。

 

2.キャラ改変

こっちはね…少し不味かった。誰が不味かったかというと千紗と耕平。耕平の方は謎にドMを匂わせる描写が追加されたのが意味不明で「必要だったのか?」と思いました。

 

が、もっと酷いのは千紗。設定改変だけでなく、今作通して全体的に扱いが一番悪かったのは間違いなく千紗でしょう。

千紗はクールで無愛想、バカには辛辣だけど、ダイビングのこととなると子供のように目を輝かせ、誰かが自分と同じように海を愛してくれていると喜ぶ、そんな子です。しかし実写だとそもそもクールで無愛想という感じが一切なかった。役者が役者なので察してはいましたが、割と常にニコニコしていて印象が違いすぎる。笑う時もフッと柔らかく微笑むとかじゃなく、あざとく満面の笑みなので違和感しかない。他にも勝手に男避けに使った後の講義室での伊織に対するセリフや手振り(確か投げキッスみたいなの)もあざとすぎて、やりすぎだと感じました。

その結果どうなったかというと、キレてるシーンとの乖離が際立ってしまったんですよね。喜怒哀楽が地続きにないというか、まさに「別人」になるわけだから魅力もクソもない。

更に酷い改変がミスコン。原作では緊張してしまった千紗からあの手この手で表情を引き出そうと(最低のベクトルで)尽力した結果、伊織は千紗の怒りを買い、金属バットを持った千紗に追いかけられた挙句、男避けの彼氏役に任命されるわけです。

しかし実写では伊織がうっかり千紗に酒を飲ませたせいでステージで酩酊。千紗は暴言を吐き散らし、バットを持って誰彼構わず殴り飛ばしつつ、何故か伊織へと怒りの矛先を向けます。

 

あのシーンは本当に意味不明でした。まず改変した理由が不明。千紗は酔っ払っても暴言を吐いたり、人を殴ったりするようなキャラじゃないし、そこの改悪も意味不明。さらに映画単体として見ても、あそこで千紗が伊織にキレてる理由も不明。全てにおいて意味がない改悪なんですよね。

 

で、致命的なのが「別に面白くない」シーンになってること。

 

あそこはケバ子(愛菜)に対して「な?笑えるだろ?」って伊織が笑顔を浮かべるシーンで痛快になるのが良いんですよ。その後に愛菜が伊織に惚れる描写があって(確か実写だとカットされてた)、伊織を見て少し腹立たしげな千紗(嫉妬とかではなく、伊織たちのためにミスコン出たのに伊織たちは別の子のために男コンを荒らしたため)とそれを見守る梓さんがいて…って感じで上手く纏まってるんですよ。

工藤会長に「もう十分笑ったんで、帰っていいですよ?」って言うところ含めてめちゃくちゃ痛快で、原作、アニメでも屈指の好きなシーンです。

それがかっこよく(ゲス)二人が締めたところで酔った千紗が乱入して余韻をぶち壊すってさぁ…この作品の良さわかってる?って言いたくもなりますよね。

 

このように千紗の扱いは作品通して割と最悪に近い出来です。

 

3.ビジュアル問題

これは公開前から思ってました。別にファンタジーものでもなし、特に奇抜すぎる格好のキャラもいないんだしコスプレ感も出ない。むしろ多少寄せる努力しなきゃ誰か分からない作品なのに誰一人寄せる気がない!

まず耕平。言うまでもなく金髪じゃない。ポスター初見で犬飼くんの髪型と髪色で普通に伊織だと思いました。ここはせめて寄せようよ。でも画面に映る時間長いし、似てる人物いないし自然と耕平だと認知はできるのでまだセーフ。

 

問題は女性陣。PVから思ってたが、映画本編見ても、てか見終わってもしばらくしたら誰が誰かわからん!特徴がなさすぎる!

もうちょいやりようあったろ。千紗にバンダナとかつけるなら、尚更同じ短髪の愛菜は普通に黒髪短髪ストレートで良かったし、梓さんは毛先にパーマでも当てときゃいい。で、ロングは奈々華さんだけになるしわかりやすい。これでいいじゃん。

でも実際には愛菜は黒髪ロングだったり、特に奈々華さんと梓さんが画面に映る時間が短いのもあって、たまにどっちかわからなくなったりと、寄せないにも程がありました。

 

4.コメディ映画として

悪くなかったです。序盤のループは「いるか?」とは思ったが窓の外で跳ねてる全裸二人とかでちゃんと笑えたし。

でも個人的に微妙なのはゴリ押しというかオリジナル要素で導入されたダンスが寒いというか滑ってること。テンポがいちいち悪いんですよね、あれ。

ぐらんぶるの面白さはマシンガンのように交わされるクズみたいな会話と独特のワードセンス、パッと見意味わからない状況を段々と受け入れてる現状をもう一度客観視することによる笑いとかだと思うんですよ。その良さが一つも出てなかったなとは感じました。

他にも睨めっこで耕平が「俺、昔はオタクだったんだ」と言うところ。元からそこまで面白くはないけど、あれも本人的には大真面目に言うから面白いところを犬飼くんがサラッと言うだけだし、そもそもオタクTシャツ着たまんま言うから面白いシーンだし…って感じでちょいちょい

 

「原作で何故面白かったのか理解してないけど入れました」

 

ってシーンが目立ってた印象。

ただ顔芸などコメディシーンの端々に竜星涼と犬飼貴丈の役者としての高いポテンシャルを感じましたね。あの二人は所謂アニメチックなハイテンポな会話や、心理描写のアフレコなどにくどさが出ない。ちょっと「臭い」演技になりそうなシーンでも独特の空気感で上手く演じているのは流石だなぁと感じました。

犬飼くんは「仮面ライダービルド」の頃からその辺の演技光ってましたしね。

二人の演技もあってか、原作とは別人だけど実写の伊織と耕平にも多少愛着が湧いてしまい、そのおかげで作品全体の印象が底上げされてます。

 

5.総括して

個人的には嫌いじゃない作品です。見終わってしばらくした今では、もう一度見て再確認してみようかなという気もしてますし、少なくとも二度と見たくない作品ではありません。

改変は多くありますが、千紗周りを除くその殆どが改変だからと言って悪印象を与えるものではないし、全体的になんとか上手くまとめた、まとめようとしていたと言う印象があります。

まだ見ていない原作ファンも一度劇場に足を運ぶだけの価値はあるかな、と感じました。

 

以上、「ぐらんぶる」の感想でした。それでは!

 

 

 

 

 

 

 

 

 PS.版権の問題か、エヴァパイロットスーツを模したダイビングスーツの代わりに出てきたのがダリフラだったのクッソ笑いました

 

私のダリフラ評は1.4.6話など序盤の関係性を固める回は好き

その後の本筋がクソ、何回6話の焼き直ししてんだお前ら

世界観設定明かしてやることなくなったから唐突に宇宙に行くな

転生エンドはゴミ

 

これに尽きます

 

以上!

 

【2022年追記】

頑張ってフォローしてるけどやっぱりつまんねぇわ