お久しぶりです。なつです。現在、この記事を書き出した時点で機動新世紀ガンダムX最終話視聴からわずか20分しか経っておらず、未だ私の興奮と感動は収まっていません。したがって後日加筆修正が行われる可能性が高いですが、今は視聴してすぐの熱量で受け取ったメッセージを残しておきたいと思い、執筆に着手しました。
今回は機動新世紀ガンダムXについて、あれやこれや称賛していこうと思います。
この物語は少年ガロードが少女ティファと出会うことから始まる、所謂「ボーイミーツガール」なのですが、私を何度も唸らせたのはボーイミーツガールをこの作品の「ニュータイプとは」というテーマに巧く絡めている点です。
ガロードはニュータイプであるティファに惚れたことで、戦艦フリーデンに乗り込み、ニュータイプをめぐる争いへと足を踏み入れます。その中でまずガロードが突き当たった壁は集団生活でした。一人で生きてきたガロードは人と関わることに慣れていなかった。それ故に一度はフリーデンから脱走します。
その後、エニル・エルとの出会いやフロスト兄弟との対峙などを経て、ガロードは自分が帰る場所を守るためにフリーデンへと戻ります。
ここでガロードは心を開いたことで孤独な少年から、フリーデンの一員になるわけです。
対するティファはガロードと交流を続けていく中で少しずつ心を開いていき、第17話「あなた自身が確かめて」で特別な能力を持つイルカとの心の触れ合いを経て、心を閉ざされる側の辛さを知り、「命は変革する」というメッセージも受けてか、フリーデンのクルーたちに積極的に関わっていくようになります。
この回の最後にイルカがティファに伝えた上述の「命は変革する」というメッセージ。ドクターが人の変革を信じて赦したイルカを「真のニュータイプかもしれない」と評したように、変わっていくことの重要性がこの時点で示されています。
この後、続く18話「Loreleiの海」19話「まるで夢を見てるみたい」で戦争に利用されたニュータイプの悲劇が描かれます。その最後に、ジャミルは忌むべき戦争とニュータイプの軍事利用の象徴たるビットモビルスーツを「こんなものはいらない」と破壊する。普段は冷静沈着な頼れる指揮官であるジャミルが感情を乱しながら、動かないMSを破壊していくシーンは印象的で見るものに強い衝撃を与えます。このシーンでジャミルはニュータイプが持つ「力」を強く否定したとも取れます。
この17〜19話で、特別な「力」などなくても分かり合うことができたガロードとティファという新しい時代を生きる少年少女の姿と、特別な「力」に固執し世界を滅ぼした旧時代が対比されることとなります。
ここで構成の巧さに私は唸りました。
そして、カトックが初登場する20話以降はこの新時代の少年少女と旧時代の亡霊たちとの戦いになります。
カトックに、そして過去に縛られる大人に対して「戦争だの連邦だのニュータイプだの、生まれる前のゴタゴタで巻き込むな」と吐き捨てるガロード。
ガロードの言葉で過去から解き放たれ、ガロードと共に「力を持たずとも未来は変えられる」と戦いに挑むカトック。そして最期にはガロードたちを庇い「過去に囚われることはない。ただし過ちを繰り返すな」という言葉を遺して逝きました。
過ちを繰り返さないために自らの目で世界を見て、知ろうとするガロード。
彼が出会うのはニュータイプの「力」、そして自分たちが「旧人類」になることを恐れ、ニュータイプを道具として戦争をする新連邦政府。
逆にスペースノイドの優位性を示すアイデンティティとして推し進めてきたニュータイプ主義を堅持するために、「オールドタイプ」を支配せんと戦争を望む宇宙革命軍。
その両方が「ニュータイプ」という言葉、その幻想に踊らされ、戦争が終わってなお、その呪縛に囚われ続けています。
「ニュータイプの「力」を利用し未来を拓く」
(これは総統でなくアイムザットの発言ですが)
とスタンスの差異はあれど、どちらも「ニュータイプが未来を拓く」と信じている点では違いがありません。
しかし彼らが15年前の戦争で招いたのは多くの死と地球の壊滅です。そして、今なおそれを繰り返そうとしている。肝心の未来が、「新世紀」が見えていないわけです。
一方のガロードは最後の出撃を前に、終戦後のことを問われ、「世界を周り、見聞を広めて、自分が求めてる未来を知りたい」と答えます。
ここでガロードと共に未来について話すのはティファ、カリス、パーラと戦後生まれということを除けばバラバラの4人です。地球の戦災孤児ガロード、ニュータイプのティファ、元人工ニュータイプのカリス、宇宙生まれのパーラ。それぞれ過去は全く違いますが、皆が未来へ目を向けているのです。
新しい時代に生まれ、生きる彼らはニュータイプがどうとか、戦争がどうとか、地球生まれも宇宙生まれも関係なく、自らの足で未来へ進もうとしているのです。
最終話でD.O.M.Eは両軍の指揮官、そして、かつてニュータイプと呼ばれたジャミルとランスローに対し、「ニュータイプなどという言葉は幻想であり、最初から存在しない」と告げます。
そう、ニュータイプの正体とはただの「力」です。
たまたま時代が戦争の中にあり、たまたまそこに「力」を持つものが存在した。事実はそれだけです。
そこに人類の未来を拓く「新人類」という幻想を見た者が「ニュータイプ」という言葉を生み出し、「力」を持つ者を特別視する価値観が生まれてしまったに過ぎません。
D.O.M.Eはガロードに対しこう言います。
「君は何度も未来を切り開いてきた」
新連邦政府に囚われた時も、宇宙革命軍にさらわれた時も、ガロードは一途にティファを想い、未来を変えるために行動を起こし、未来を変えてきました。
これこそが特別な力などなくても未来を拓くことができるということの証左に他なりません。
「未来を拓くものは何か」という問いに帰結する物語ですが、その答えは最初から出ていました。
ガロードのように他者を思い行動を起こすこと、ティファのように他者に心を開き変わっていくこと。
結局はこれに尽きます。
少年少女の出会いという最序盤のミクロな話が、人類の未来やニュータイプ論といった中盤以降のマクロな話の答えになっている。私はこの構成にまたも思わず唸りました。
この作品は人が人と出会うことで変化していく様が丁寧に描かれており、フリーデンのクルーも皆成長していくし、序盤ではカリス、中盤ではエニル、終盤ではランスロー、ニコラなども大きく変化しました。それだけに作品の「答え」に説得力もあるし、人間味のある人物たちへの愛着が生まれ、全編を通してとても魅力的な物語になっています。
また少々話はそれますが、人物間の関係の描写が丁寧なことも、この作品の魅力でしょう。
年が近く同性のロアビィ&ウィッツ、サラ&トニヤはよく一緒に行動していて、独特の信頼感が描かれているし、ガロードに対するロアビィとウィッツの正に「兄貴分」といった関係は、特にガロードがティファに関する相談をする時など見ていて微笑ましいです。
機動新世紀ガンダムXは「After war」を舞台にし少年少女を主人公にしなければ描けない、唯一無二の物語です。その緻密で丁寧な人物の配置や描写は感嘆するほかないし、まぁとにかく間違いのない名作です。
個人的にはニュータイプ主義を改め戦争を止めるべしと考えたニコラの「変革の時が来た」という言葉に「命は変革する」というメッセージが想起されたり、フロスト兄弟との最終決戦でガロードが口にした「過ちは繰り返させない!」というセリフにカトックの最期の言葉が想起されたり、といった点もグッと来ました。
この記事を読んでいる人は多分見たことある人ばかりだろうけれど、改めてオススメできる作品です。
以上、なつでした。
パーラの喧しい声ってクセになるよね。