なつブログ

野球、アニメ、ゲームなど様々なことを思いつくまま書きます。不定期更新。

ラティアスって凄いのよ

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お久しぶりです、なつです。今回は「劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスラティオス」よりラティアスの凄さについて今更語っていこうと思います。

 

ラティアスはかわいい。これは今更言うまでもないことです。ポケモンに関する話題で萌え豚の口から出る言葉は一にサーナイト、そして二言目にはこの映画のラティアスと言っても過言ではありません。

ですから今回は今更どのシーンが可愛いだとか、そんな話をするつもりはありません。デザインについても同様に語りません。

ではデザインでもキャラ描写でもない今回のテーマは一体何なのか。それはこの映画におけるラティアスというキャラクターの極めて特異な立ち位置と人々に与えたダメージです。

 

まずこの作品におけるラティアスは広義においてヒロインと呼んで差し支えないでしょう。人の言葉こそ喋りませんが、彼女は主人公と出会い交流をし、物語を動かすキーパーソンなのですから。しかし「ヒロイン」という言葉は近年では「主人公と恋仲になる」或いは「主人公に恋愛感情を抱く」という意味合いが強くなっています。正確に表すのであれば、そのような意味合いで用いる人が増えました。

ラティアスがそのような意味合いで「ヒロイン」であったかは置いておきます。一番の問題はポケモンであるヒロインのラティアスが主人公サトシにどのような感情を抱いていたかという点ではないからです。

一番の問題は物語を追う中で一部の視聴者が彼女に向ける感情が犬猫など「可愛らしい動物」に向けるそれから、「ヒロイン」にむけるそれに変わってしまったことです。

この一つの大きな倒錯は非常に大きな意味を持ちます。視聴者は仔犬のように無邪気にサトシと戯れるラティアスに最初は「可愛らしい」「癒される」というような感情を抱きます。そして物語を追う中で健気に頑張るラティアスの姿にサトシとシンクロし「こいつを救ってやりたい」という感情を強く抱くようになり、物語が決着した時には彼女の境遇に深い同情を抱くわけです。

そして歴代ポケモン映画で最も話題になるシーンの一つである、この映画のラストシーン。ここに全てのプロセスが完結します。

カノンの姿を借りたラティアスと思しき少女(最近久しぶりにこの映画を見たが思ってた以上にカノンとサトシの絡みが少なく、この場面がカノンである理由がなかった)が別れ際にサトシにキスをし、物語は幕を閉じます。このシーンで多くの少年がラティアスという「ヒロイン」に恋をしたことでしょう。

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彼女のキスはまず間違いなく彼女なりに最大級の感謝、愛情を表したものです。(子供向けなのでライトな表現をしたという背景もありますが、頬にしていることも根拠になり得るか)勿論ここでいう愛情とは性愛に限らず家族や友達に向けられるものも含みます。しかし既に述べた通り、ここでラティアス自身の感情はそれほど問題ではありません。このシーンで萌え豚に限らず一部の、それでいて多くの少年たちが決定的にラティアスを「ヒロイン」的な好意の対象と捉えてしまったことが重要です。

自分が彼女に向けている愛情が物語序盤に抱いた可愛らしく無邪気な動物に向けるようなものなのか。それともキスシーンにときめいたように可愛い「ヒロイン」に向けるものなのか。感情の変遷の中で二つの愛情の線引きが曖昧になり、混ざり合い、自分が倒錯しているのか否か、それすらもわからなくなります。

このような鮮烈な出来事は他のキャラクターでは早々起こり得ないことです。これこそがラティアスの他にない特異性であり、素晴らしい点です。

ラティアスがサトシに向けた感情など些末な問題であると言いましたが、私は逆に問いましょう。貴方がラティアスに向ける感情の正体を貴方は把握していますか?

 

以上が今回の本題になります。長々とお付き合いいただきありがとうございました。

 

ここで一旦区切って、以下しばらくはやや下品な話題と駄文が続きます。

記事の中でサラッと触れたサーナイトラティアスはPixivでR-18イラストが多いことで知られています。他にも多くのポケモンのいかがわしいイラストがネット上に上げられていることは今更言うまでもないでしょう。

別に私はそれらを否定するつもりはありません。しかしどうしても許せないことがあるのです。それは胸部や臀部など一部を人間的に表現したポケモンのR-18イラストです。

ポケモンに性愛を向けること自体は大いに結構です。私はそこまで嗜んではいませんが、一定の理解が可能です。既にラティアスにおける倒錯について扱った通り、このような現象に人を惹きつけるものがあると思います。流石にニドクインラプラスでは抜けませんが。

しかし、しかしです。その容姿が人間的になった途端に「それは違うんじゃねえかなぁ!」と思ってしまいます。それは結局人間で抜いていることと大差ありません。形状まで含めてそのポケモンです。いつかサーナイトに人間的な胸部と臀部を付加したイラストをアップロードしている輩と出会うことがあれば、ぶん殴ってしまうかも知れません。言い忘れましたが、私は萌え豚なのでサーナイトが好きです。あの儚げな姿にこそ魅力を感じるのであって、そこに巨乳はアンバランスでありノイズにしかなりません。

ラティアスの倒錯のような大きな精神的プロセスを抜きにしてシンプルに異常性癖的な観点から見ても、彼奴らは結局「ポケモンっぽい人間」でしか抜けない弱者です。私のような正常な人間にもなれず、異常な人間にもなれず、どちらにもすり寄るような巨乳化ポケモンを描いているのです。哀れな性欲の敗北者です。THE 王道の萌え豚人気ポケモンでのみ抜いている奴よりも、ドスケベ界のドマイナーポケモンを態々人間化して抜いている奴の方が弱いです。

少し言い過ぎましたが、これが今回私が一番伝えたかったことです。

それでは改めてありがとうございました。